北畠神社

荒谷の北畠神社。荒谷は北畠顕信が吉良貞家を破った場所。

(写真:荒谷の北畠神社。荒谷は北畠顕信が吉良貞家を破った場所。)

天童市荒谷の北畠神社は南朝方で活躍した北畠親房と北畠顕信を祭神として祀る神社である。南北朝時代、天童の舞鶴山には足利尊氏を破る活躍を見せながらも、戦死した北畠顕家の末子、北畠天童丸が拠ったとされる。天童丸は山寺立石寺の協力を得て北朝に対抗した。荒谷は天童と山寺を結ぶ要衝で天童屋敷などの地名が残るという。天童丸は後に敗れて津軽鯵ヶ沢に逃れ、津軽の浪岡御所の北畠氏の祖になったともいう。一方、北畠顕家の弟、北畠顕信も奥羽を転戦し、この天童市荒谷にて正平六年(1351年)北朝方の奥州探題吉良貞家・貞経父子を撃破した。北畠顕信も後に津軽に逃れ、川原御所の北畠氏の祖となった。荒谷の地で北畠の御霊を神として観音菩薩とあわせ祀った。その後、大正七年に北畠神社として建立されて現在の姿となった。