建勲神社

建勲神社の階段。「織田の里」「織田信長サミット」など織田にちなんだ幟が立てられている。織田信長を祀る建勲神社。

(写真左:建勲神社の階段。「織田の里」「織田信長サミット」など織田にちなんだ幟が立てられている。)

(写真右:織田信長を祀る建勲神社。)

舞鶴山の西側斜面中腹にある建勲神社は織田信長を祀る神社である。天童知藩事織田信敏が建織田社の称号を賜り、後に建勲社と改称して明治三年山頂に社殿を造営し、明治十七年現在地に移転したという。

織田家は信長の死後、次男織田信雄の系統が継ぐことになり、上州小幡で二万石を領していた。八代織田信邦は吉田玄蕃を用いて藩政刷新に取組んでいたが、明和四年(1767年)山県大弐の明和事件に連座して蟄居を命じられた。代わって弟織田信浮が九代藩主となって出羽国(山形県)高畠に移封された。高畠織田藩は寛政十二年(1800年)領地替えで織田領の多くが村山郡内に収まったことから十代織田信美は天童への居城移転を願い出て文政11年(1828年)これが許可されて天童の田鶴町で陣屋の造営が始まり、天保二年(1831年)信美は高畠から天童に移った。こうして天童織田藩が成立し、天童は織田家ゆかりの地となったのである。