羽黒神社(上杉治憲敬師郊迎跡)

直江兼続によって再建された関根の羽黒神社。後に上杉鷹山が自ら師の細井平洲を出迎えた。「上杉治憲敬師郊迎跡」といわれる。

(写真:直江兼続によって再建された関根の羽黒神社。後に上杉鷹山が自ら師の細井平洲を出迎えた。

「上杉治憲敬師郊迎跡」といわれる。)

関根の羽黒神社は大同元年(806年)大窪沢山頂に創建され、暦仁元年(1238年)現在地に移ったという。羽黒神社は元亀元年(1570年)伊達氏と蘆名氏の合戦で焼失したが、慶長三年(1598年)直江兼続によって再建された。米沢藩主上杉治憲(鷹山)公は寛政八年(1796年)その師である細井平洲の十三年振り、三度目の米沢下向に際して自ら米沢郊外の関根にある羽黒神社まで出迎えた(上杉治憲敬師郊迎跡)。