| 荒砥駅に戻る |
|
| 白鷹町立病院から西の最上川へ向かう途中にひっそりと毛谷明神という祠が建っている。白鷹町の最上川流域は増水時に氾濫する場所で、恙虫(毛ダニ)が多く発生し、恙虫病で多くの人々が亡くなった。このため一帯は「病川原」と呼ばれた。毛谷明神は万延元年(1860年)に恙虫病の災厄を除くため荒砥御役屋将が建立したものであるという。 このように白鷹一帯は常に恙虫病に苦しめられてきたが神頼みでは解決しない。この恙虫病に地元の医師として戦いを挑んだのが、芳賀忠徳と新野広陵である。 芳賀忠徳(1782〜1848)は田尻村(白鷹町横田尻)の生まれである。実家は農業の傍らで医術を生業とし、忠徳は田尻周辺の村々で恙虫病のために数多くの村人が死んでゆく有様を見て恙虫病の研究を進め、治療法を開発した。人々からは「毛ダニ医者」と尊敬を集めた。 新野広陵(1826〜1890)は本名を松隆といい、広野村(白鷹町広野)の医師であった。広陵も遠く秋田まで出かけて恙虫病の研究を進め、針を用いて恙虫を皮膚から摘出する治療法を開発して成果を挙げたので「毛掘り先生」と人々から尊敬を集めた。 この二人の名医の努力が白鷹の人々を恙虫病から救ったのである。 |