柏木山の戦い

柏木山古戦場跡に隣接する愛染神社。最上義光と伊達輝宗が激突した。

(写真:柏木山古戦場跡に隣接する愛染神社。最上義光と伊達輝宗が激突した。)

柏木山古戦場跡は愛染神社南側の現在、東北中央自動車道、山形西バイパスが通り、みはらしの丘が造成された丘陵一帯である。天正二年(1574年)家督を継いだ最上義光と不満を持ちながら隠居した父、最上義守の間に対立が再燃し、米沢の伊達輝宗は岳父義守を助けるという名目で最上義光を攻撃した。輝宗に応じて最上氏一族の天童城主天童頼貞や上山城主上山満兼らも行動をともにし、義光に敵対した。義光は苦戦の末に和議に持ち込んで輝宗を撤退させた。しかし天正六年(1578年)伊達輝宗は再び上山城主上山満兼と結んで最上義光を攻撃し、柏木山で伊達・上山連合軍と最上軍が激突した。最上義光は鉄砲隊で侵入した伊達輝宗を撃退した。両者の間に義光の妹で輝宗の妻である義姫(政宗の母)が入り、和議を結ぶことになった。1580年最上義光は宗家に抵抗する上山満兼の家臣里見民部を内応させて満兼を討たせて上山城を攻略した。