観音寺城

観音寺城(来次城)があった山。手前は円通寺。

(写真:観音寺城(来次城)があった山。手前は円通寺。)

観音寺(来次)城は元亀年間以前に来次氏によって築城されたらしい。当地は西に城輪柵、北は秋田方面へ、東は青沢越で新庄最上に抜ける要衝であった。来次氏は戦国時代に力を伸ばし、1570年(元亀元年)には来次時秀が本荘繁長に書状を送っている。1578年には武藤氏に背いたが武藤氏は武力行使を避け懐柔している。最上義光の庄内侵攻の際は鮭延愛綱の書状で来次氏秀は日和見を決め込んでいる。だが越後の上杉氏が介入し始めると上杉氏に付き、関ヶ原の戦いで上杉氏が庄内から離れると来次氏もこの地を離れ、観音寺城は廃城となった。城の麓にある円通寺は来次氏の菩提寺でその山門は城の門の改造ではないかといわれる。