上山温泉

上山温泉発祥の地。鶴が足の脛を浸して治したことから「鶴の湯」と称せられた。上山温泉源泉。後ろが鶴が休んだ「鶴の休石」。

(写真左:上山温泉発祥の地。鶴が足の脛を浸して治したことから「鶴の湯」と称せられた。)

(写真右:上山温泉源泉。後ろが鶴が休んだ「鶴の休石」。)

上山温泉でも古い公衆浴場「下大湯」。1624年につくられた。上山領境界標が建っている。「従是南上山領」と書かれている。

(写真左:上山温泉でも古い公衆浴場「下大湯」。1624年につくられた。)

(写真右:上山領境界標が建っている。「従是南上山領」と書かれている。)

下大湯と湯の上観音の前の坂、「観音坂」。上ノ山観音。下大湯の隣の高台にあり、又の名を「湯ノ上観音」。

(写真左:下大湯と湯の上観音の前の坂、「観音坂」。)

(写真右:上ノ山観音。下大湯の隣の高台にあり、又の名を「湯ノ上観音」。)

上山温泉は湯野浜温泉や会津東山温泉とともに奥羽三楽郷に数えられる名湯。肥前の僧、月秀が長禄二年(1458年)に上山を訪れた際、沼のほとりで足を痛めた鶴が脛を浸して治ったのを見て、温泉を見つけたのが始まりという。このため上山温泉を鶴の湯と称するようになったという。また鶴が休んだ石を「鶴の休石」と呼ぶようになった。温泉の周りには人家も建ち並び湯治場として発展し、現在の湯町となった。寛永元年(1624年)には上山藩主松平氏が湯町の「下ノ湯」を山形へ向かう羽州街道近くの観音堂下に移し、「下大湯」として一般に開放。この地で最初の共同浴場として街道を往来する人々で賑わった。紫衣事件で上山に流された沢庵禅師もこの近くの坂の上に住み、下大湯に浸かっていたという。

「鶴脛の 出湯にうつる 影みれば 片輪もなおる 七日七日に」

沢庵禅師のこの歌から「鶴脛温泉」と呼ばれるようになったという。また下大湯のすぐ近くには「従是南上山領」と書かれた上山領境界標が建っている。これは上山・山形領境の旧街道に建てられていたもので、上山の川口と中山の間、米沢藩との境にも「従是北上山領」の標があったという。この地の境界標は会津屋が譲り受けていたものをこちらに建立したということである。下大湯隣の高台にある観音堂は上ノ山観音、別名湯ノ上観音といい、最上三十三観音の十番にあたる。天仁二年(1109年)の開山という。