覚範寺

伊達政宗が非業の死を遂げた父、輝宗のために建立した覚範寺の址。

(写真:伊達政宗が非業の死を遂げた父、輝宗のために建立した覚範寺の跡。)

天正十四年(1586年)伊達政宗は二本松の畠山義継による拉致で非業の死を遂げた父、伊達輝宗の菩提を弔うため、米沢西南の遠山に覚範寺を開基した。遠山は西北に輝宗が隠居した舘山城があり適地であった。政宗は夏刈の資福寺から自分の師である虎哉宗乙禅師を招き、覚範寺を開山した。また輝宗に殉死した遠藤基信らの墓も設けた。しかし天正十九年、政宗が岩出山に移封されると覚範寺も移り、その後仙台北山に移った。当初、米沢にも寺は残されていたが、政宗の後に置賜を支配した蒲生氏郷により取り壊されたという。