慈恩寺

慈恩寺本堂慈恩寺仁王門

(写真左:慈恩寺本堂)(写真右:慈恩寺仁王門)

慈恩寺三重塔。文政十三年(1830年)建立。

(写真:慈恩寺三重塔。文政十三年(1830年)建立。)

慈恩寺は天平十八年(746年)聖武天皇の勅命を奉じた行基によって寒江山大慈恩律寺が建立されたのが始まりと伝えられる。寒河江荘が藤原氏の荘園であったことから、平安時代は藤原氏の庇護を受けていたらしい。天仁元年(1108年)鳥羽上皇の宣勅で奥州平泉の藤原基衡が慈恩寺を修造した。仁平年間には奈良興福寺の願西上人を迎えて平忠盛らが諸堂を再建し、法相宗となった。文治元年(1185年)には後白河法皇の院宣によって源頼朝が高野山の弘俊を慈恩寺に派遣し、山号を瑞宝山、宗派を真言宗に改めさせた。鎌倉時代は大江氏、戦国以降は最上義光らの庇護を受けたが元和八年(1622年)最上氏改易の後は幕府から御朱印と寺領2812石余を受け、大勢力を誇った。だが明治政府によって寺領は没収され半僧半農となって衰亡した。江戸時代に寺院ごとに真言・天台それぞれの宗派に属するようになったが、戦後真言・天台両宗慈恩寺派として統一・独立し、昭和四十七年から慈恩宗として一派を形成するようになった。慈恩寺には平安時代からの仏像も数多く残されている。また谷地八幡宮と同様に慈恩寺まつりにおいても林家舞楽が奉納される。