板谷峠

大野九郎兵衛の供養碑峠駅の構内跡。スイッチバックの廃止でホームはトンネル内に移った。

(写真左:大野九郎兵衛の供養碑)(写真右:峠駅の構内跡。スイッチバックの廃止でホームはトンネル内に移った。)

板谷峠は戦国時代には伊達政宗、江戸時代には上杉家の参勤交代が通った峠で、明治に万世大路が開通するまで米沢と福島を結ぶ重要なルートであった。板谷峠の途中に赤穂藩浅野家家老の大野九郎兵衛の供養碑がある。大野は赤穂城明け渡しの後、大石内蔵助と図って見捨てて出奔したと見せかけ、板谷峠に待ち伏せした。大石ら赤穂浪士の討入りが失敗し、吉良上野介が息子上杉綱憲の領地、米沢に逃げてきたら板谷峠で討ち果たそうとしたのである。大石ら四十七士の討入りが成功して吉良が討ち取られた翌年早春、大野は主君浅野内匠頭らの後を追ってこの地で切腹した。板谷峠から北西に進むと峠を下り、羽黒川沿いに関根・米沢方面に街道は向かうが、峠を登りきる手前で左折すると峠駅へと向う。峠駅も板谷、大沢、赤岩駅同様にスイッチバックで有名だったが、山形新幹線の開業でスイッチバックは無くなり、ホームもトンネルの中に移った。峠の力餅が名物である。峠駅から南に向かうと滑川温泉、姥湯温泉である。