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| ジャスコ赤湯店の西の方に小高い丘が三つある。その丘の真ん中の一つが「稲荷森古墳」である。「稲荷森古墳」は山形県最大の前方後円墳で日本海側では北限とされている。古墳の西側、郡山地区では道路をつくる際に古代置賜の郡役所(郡衙)跡が発掘され、この付近が置賜地方の中心地であったことが想像される。一月下旬には「稲荷森古墳冬まつり」が行われ、雪に覆われた古墳の上の雪灯篭に蝋燭の灯を点す。 稲荷森古墳の周辺は古墳を含めて三つの丘があり、長岡の地名を生んだ。北の丘は戦国時代、伊達家臣湯目肥前守の城館が置かれた。その後赤湯園芸高校が置かれたが宮内高校と統合して南陽高校となり、赤湯園芸高校が無くなったため暫く利用されなかったが、2003年赤湯小学校がこの場所に移転した。南の丘は寛永年間、赤湯のキリシタンの処刑場であった。寛永五年上杉家臣甘粕右衛門信綱一族は棄教を拒み、キリシタンとして米沢の北山原で処刑された。赤湯でも右衛門によって洗礼を授けられたヨハネ美濃一族が捕らえられた。美濃一族は米沢に送られ、美濃はさらし首に十字を切って祈り、右衛門の首に頬ずりした。美濃らは赤湯に送り返され、赤湯では棄教を勧めたが美濃らは聞き入れず十字架に架けられることを願った。役人は幼女の首を刎ねて信仰を棄てさせようとしたが、それでも美濃一族は信仰を棄てなかった。刑場には九つの十字架が並べられ、幼女の死骸は母の十字架の足元に置かれた。美濃をはじめとする信者達は最後の祈りを唱え、法悦の表情を浮かべて処刑された。時に寛永六年のこと。この刑場となった場所は法養塚といわれていたらしい。 |