法泉寺

直江兼続が創設した「禅林文庫」の鎮守として建てられた法泉寺文殊堂。孔子を祀る聖堂は上杉鷹山によって「先聖殿」と名付けられた。

(写真左:直江兼続が創設した「禅林文庫」の鎮守として建てられた法泉寺文殊堂。)

(写真右:上杉鷹山によって「先聖殿」と名付けられた孔子を祀る聖堂。)

兼続は亡くなる前年の1618年に足利学校で学んだ僧九山に禅林寺を開基させた。そこに自らの蔵書や出版物を納め「禅林文庫」となる。後に禅林寺は法泉寺と改称しするが「禅林文庫」の鎮守として慶安元年(1648年)に創建された文殊堂は今も境内に残る。元禄年間には上杉綱憲(吉良上野介の子)が学問所を創設した際に孔子を祀る聖堂「感麟殿」を建てた。上杉鷹山が米沢藩の学館再興を掲げて藩校興譲館を創設した際に聖堂を「先聖殿」と称して興譲館の向かいに設置し、後にこれを法泉寺境内に移した。こうして兼続が興した米沢の学問の流れは上杉鷹山によって藩校興譲館創設に繋がったのである。また法泉寺庭園は上杉定勝の代に京都天龍寺の庭園を模して造られ、庭園では上杉鷹山の詩会が催された。法泉寺には直江兼続の詩碑、上杉鷹山の詩碑も立っている。

上杉鷹山公の詩碑。鷹山公は法泉寺庭園で詩会を催したという。

(写真左:直江兼続公の詩碑。兼続はこの寺に参禅のため度々訪れ「禅林文庫」を創り蔵書を納めた。)

(写真右:上杉鷹山公の詩碑。鷹山公は法泉寺庭園で詩会を催したという。)