千眼寺

窪田の千眼寺保呂羽堂。「裸餅つき」の行事が有名。

(写真:窪田の千眼寺保呂羽堂。「裸餅つき」の行事が有名。)

窪田の千眼寺は上杉家重臣色部家の菩提寺である。上杉家重臣色部長実は病弱の兄顕長に代わって家督を継いだ人物で新発田重家の乱の鎮圧や仙北一揆の鎮圧解決に奔走し、仙北住民の信を得て1590年保呂羽権現の御神体を預かり越後平林に遷座した。軍法、馬術、様々な学芸に通じ、豊臣秀吉からも高く評価されたが朝鮮出兵で病にかかり、1592年40歳で亡くなった。長実は亡くなる直前、幼い嫡男の妻として直江兼続の二女を貰い受けたいと懇願した。実際には兼続の妹が嫁いだ。この嫡男が色部与三郎綱長(のち光長)で直江兼続の後見を受け、北条郷金山の領主として1600年には最上義光と戦った。1601年上杉家転封で窪田を知行とするようになり、千眼寺を窪田へ遷した。千眼寺内に保呂羽権現を祀る保呂羽堂がある。色部氏は直江氏断絶後も上杉家重臣として幕末まで活躍した。