| 酒田の日和山公園は酒田港を望む砂丘の高台にある。日和山とはかつて船頭が日和を見た丘で現在は一帯が公園として整備されて酒田市民の憩いの場となっている。公園には円形の「方角石」が残されている。これは船頭が日和を見るときに方角を示した石である。酒田の発展は北前船によるところが大きいが、酒田と上方を結ぶ西廻り航路を往来した北前船(千石船)も再現され池に浮かべられている。その西廻り航路を一六七二年に開き、港町酒田発展の礎を築いた商人河村瑞賢の像も公園内に立っている。河村瑞賢が航路を開設した際、瑞賢は幕命により酒田湊に出羽の天領米の置場を設置した。この米置場は陣屋と称され、最上川舟運を利用してこの置場に米が集められた。この跡地にも米の字をした碑が残されている。一八一三年には酒田に出入りする船頭衆や廻船問屋の寄進で灯台として常夜灯が建てられている。木造の白い六角灯台は一八九五年に酒田市宮ノ浦に建てられたもので木造では日本最古の灯台である。のちに近代的な灯台が建てられて日和山に移築保存された。移築といえば公園には大正時代の木造洋風医院建築「旧白崎医院」が移築されている。酒田大火後の復興事業で移築された。その向いには羽越線で活躍した蒸気機関車も保存されている。その隣に続く森は山王の杜とされ、中心に酒田の総鎮守である日枝神社がある。酒田の町が最上川対岸の宮之浦から移った頃から産土として信仰されていたという。現在の「酒田まつり」の前身はこの日枝神社の祭礼「山王まつり」である。その建物は天明年間に本間家中興の祖、本間光丘が造営したものである。その本間光丘は庄内藩の財政再建や庄内砂丘での砂防林育成など郷土への貢献により大正七年に正五位を贈られ、同十三年には日枝神社の北側に光丘神社が建てられ祀られている。この記念に本間家では大正十四年に日枝神社の南東に本間家歴代の集書を蔵した光丘文庫を建てた。その南側には忠海上人、円明海上人の二体の即身仏(ミイラ)を安置する海向寺がある。この海向寺は注連寺(朝日村)の末寺で住職だった鉄門海上人も即身仏となり注連寺に納められている。 |