肘折温泉 |
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(写真左:肘折温泉発祥の由来が残る地蔵倉。今は縁結びの神様らしい。)(写真右:大蛇伝説が残る小松淵。) (写真左:高台から見下ろした肘折温泉街。)(写真右:肘折温泉の温泉施設「肘折いでゆ館」) (写真左:源泉公園の源泉ドーム。出羽三山の湯殿の巨岩と環状列石をモデルにしたらしい。) (写真右:源泉公園の飲泉所は地球をモデルにした球体で裂け目から温泉が出る。) (写真左:源泉公園隣のダム。)(写真右:肘折の奥、金山にある黄金温泉の温泉カルデラ館。斎藤茂吉もこの地を訪れた。) |
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人力車が走り、大正ロマンを感じさせる湯治場として知られる肘折温泉は大同二年(807年)地蔵菩薩の化身である老僧が旅人に自分が岩から落ちて折った肘が湯に浸かって治ったことを話し、この地に留まって病苦に苦しむ人々を救うよう言い残して姿を消したという伝説から肘折温泉という名がついた。老僧がいたとされる地蔵倉にはその名の通り、絶壁の奇岩の中に地蔵が並んでいる。今では縁結びの神様らしい。肘折温泉一帯は大昔、火山で形成されたカルデラの底にあり、地蔵倉など周囲は山や高台に囲まれている。肘折温泉を流れる銅山川の下流側、景勝地の小松淵には大蛇の伝説がある。この淵に白い大蛇が棲みついて人々に害をなしたので戸沢藩二代目藩主の命により、勇将小山八郎がこの大蛇を倒し、大蛇の血が七日七夜川の水を朱に染めたという。この小松淵もまた約一万年前の肘折カルデラの噴火でできたトロイデ型火山の火口であるという。肘折温泉は湯治場として、また出羽三山や葉山の参道口として栄えた。 肘折から少し奥の金山地区には炭酸泉の黄金温泉がある。こちらのカルデラ温泉館では温泉に浸かるほか、炭酸泉を飲むこともできる。ペットボトルを買えば持ち帰りもできる。かつてはこの源泉から「大蔵サイダー」を製造していたという。歌人斎藤茂吉もこの地を訪れ「泡だちて 湧きくる泉の 香を好しと 幾むすびしつ けふの日和に」と詠んでいる。金山の名の通り、この地には大蔵鉱山という金山があった。明和年間に発見され、良質の金産地として栄えたが落盤事故以後、放置された。明治三十六年以降は大蔵鉱山の呼び名で本格操業が開始されたが、次第に銅鉱山に変化した。大正三年が最盛期で、大正九年には銅価格大暴落で休山の憂き目をみた。その後、再興されるが昭和三十四年、資源枯渇で閉山となったのである。 また肘折温泉の奥には徒歩で行く炭酸泉の露天風呂が別にある。石抱温泉といい名前の由来は炭酸泉で体が浮くため石を抱いて体を湯船に沈めたからだという。 |