原田城

置賜公園内にある原田城跡の碑。

(写真:置賜公園内にある原田城跡の碑。)

川西町小松の西側丘陵には小説などの題材となった「伊達騒動」の敵役で有名な原田甲斐宗輔の祖父である原田左馬助宗時(伊達政宗の重臣)が原田城を構えていた。原田宗時は桑折景長の孫でもとは山嶺虎駒といい、天正十年(1582年)原田家の当主が相馬で戦死したため原田家を継いだ。剛直で勇敢な武将として知られ、随所で戦功を挙げた。同僚の後藤信康(湯目重弘次男)も勇将で知られたが、原田は後藤の態度に不満を持ち、或る時決闘を申し込んだ。だが後藤はこの命は伊達家のために使うべきと原田を諭し、以後親友となったという。朝鮮出兵にも参加したが釜山で病気なり、1593年対馬で29歳の若さで亡くなった。原田城跡は現在置賜公園として整備され、川西ダリヤ園のダリヤが美しい花を咲かせている。