| 羽黒山は月山、湯殿山とともに出羽三山の一つで山伏の修験の山として広く知られている。その歴史は蘇我馬子に暗殺された崇峻天皇の第三子とされる蜂子皇子に始まる。蜂子皇子は参弗理ともいい蘇我馬子の魔手を逃れるため宮中を脱出して弘海と改名し、日本海側の由良(京都府)から船で北上し、八人の乙女に迎えられて由良(鶴岡市)の八乙女浦に上陸した。そして三本足の烏に導かれて羽黒山にたどり着き、推古元年(五九三年)に開山し、さらに月山、湯殿山を開山したという。その後、皇子は人々の病苦を救い「能除仙」と呼ばれたという。のち役行者が羽黒山に来て蜂子皇子の法を継いだという。この蜂子皇子の苦行が発展していき羽黒山古修験道になったという。さらに平安期以降は神仏習合で真言宗となり、江戸時代には天台宗に改め、明治に入り神仏分離がなされた。鶴岡から羽黒山に向って東に進むとその入口には東北第一の大きさを誇る大鳥居がそびえる。ちなみに大鳥居の南方には庭園で知られる玉川寺がある。大鳥居の先は木々の中を神路坂と称される坂道を登って宿坊が並ぶ手向の街に入っていく。すると左側に源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡を討つ際に戦勝祈願のため土肥実平に建てさせた(一一九三年)という羽黒山正善院黄金堂がある。一五九四年には酒田城主甘糟景継によって現在のお堂に建て替えられた。随神門からは階段を下りて一旦谷底に向かう。随神門は由利郡の矢島藩主が先祖供養の為に建てたものである。神橋を渡ると右側に須賀の滝が見える。そして左奥には杉並木の中に有名な国宝羽黒山五重塔がそびえ立っている。五重塔は承平年間に平将門によって建立されたと伝えられる。長慶天皇の時代に再建され、慶長十三年に最上義光によって修造されたという。この先は一の坂、二の坂、三の坂と急坂が続く。この羽黒山の石段は全部で二四四六段もあるという。途中、三の坂手前から右の道に入っていくと南谷別院跡に至る。南谷の別院は羽黒山中興の祖とされる別当天宥が建てたとされる。のちに松尾芭蕉が羽黒山を訪れて南谷の別院に宿泊し「有難や雪をかほらす南谷」の句を残したという。現在の南谷には建物は無く、芭蕉句碑のほか礎石と天然記念物南谷霞桜が残る。三の坂を上りきると頂上部に到達する。左側に羽黒山の開祖、蜂子皇子を祀る蜂子社がある。右側の道の奥には蜂子皇子の御墓所もある。 |