五色温泉 |
(写真:五色温泉の宗川旅館) |
五色温泉は役の行者が吾妻山中にて五色の湯煙が立上るのを見つけ、温泉を発見したので五色温泉と呼ばれるようになったという。また直江兼続の嫡子景明は生来病弱で両目も患っていたため、兼続が1609年、五色温泉に湯壷を開き、治療させたと伝えられる。が奇病にかかり、医薬で治らなかったものが五色温泉で快癒したという。景明は徳川家康の側近本多正信の媒酌で戸田氏鉄の娘と結婚。大坂の陣でも活躍し、感状を拝領したが無理が祟ったのか、翌1615年に兼続に先立って亡くなる。跡継ぎはなく直江家は断絶した。五色温泉には1911年日本初の国設スキー場が造られ、名スキーヤーや皇族が訪れ、皇族のためのスキーロッジ「六華倶楽部」も建設された。「六華倶楽部」は現在、移築されて仙台の個人宅となっている。歴史あるスキー場も平成10年閉鎖された。 |