烏帽子山

赤湯温泉詳細地図

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烏帽子山八幡宮の大鳥居と枝垂桜。継ぎ目無しの石鳥居では日本一の大鳥居。
赤湯温泉街から烏帽子山公園に登る御神坂。烏帽子山八幡宮の御神木、二代目放鳥目白桜。
日本一の大鳥居の注連縄架け替え作業。烏帽子山の由来となった烏帽子石。磨崖碑である。
烏帽子山公園の名物男「花咲か爺さん」。烏帽子山公園の桜並木を行く
烏帽子山公園にある眼鏡橋、康寿橋。烏帽子山公園。千本桜が咲き、多くの人が花見に訪れる。
烏帽子山公園の夜桜のアップ。
新々刀の祖である名刀工、水心子正秀を顕彰する碑。東正寺の石段下には赤湯小学校発祥の碑がある。
東正寺の山門。ある伝説では東正寺の和尚がこっそり牛肉を食べたら白龍湖の神の使いである牛が怒り山門を頭突きで破壊したという。だが、山門はしっかりとある。東正寺、烏帽子山八幡宮の登り口と桜。
赤湯の生んだ大蔵大臣、日銀総裁の結城豊太郎の墓。結城は臨雲豊と号した。北東にある旧八幡神社。明治に烏帽子山に移るまではこの地にあった。
南陽市赤湯の烏帽子山公園は春になると千本桜が咲き乱れる桜の名所として知られ、桜の名所を結ぶ「置賜桜回廊」の名所の一つである。
烏帽子山の中央には烏帽子山八幡宮がある。烏帽子山八幡宮の由来は、赤湯温泉の由来と同じく、源義家(八幡太郎義家)が「後三年の役」で奥州平定に向かった際、義家の弟加茂次郎義綱が、赤湯で温泉を見つけ、祠を建てて武運長久を祈願したことが起源とされる。烏帽子という名前は境内にある巨大な磨崖碑、烏帽子石からきている。烏帽子石は赤湯七石の一つとされ、古文書には塩釜明神の使いが慈覚大師のもとに来て問答した後、塩釜に帰る際に烏帽子をかけた石とされている。烏帽子山八幡宮の石段には巨大な石鳥居がそびえたっている。この石鳥居は継目なしの石鳥居では日本一の大きさを誇る大鳥居だという。この鳥居は明治三十五年から三十六年にかけて八幡宮裏から切り出した凝灰岩を用いて製作建立したという。大鳥居の近くには八幡宮の御神木である放鳥目白桜がある。この桜は八幡宮の移転とともに植えられた二代目で初代の桜は旧八幡宮の入口にあったが昭和三十年頃、枯れてしまったという。旧八幡宮は赤湯北町の八幡沢という場所にあり、明治二十三年烏帽子山公園の整備に合わせて現在地に遷座した。また烏帽子山八幡宮境内には新々刀の祖で名刀工として知られる水心子正秀の顕彰碑がある。水心子正秀(1750〜1825)は南陽市元中山の諏訪原に生まれた。本名は鈴木三治郎。父を早くに失い、赤湯北町の外山家で育ったという。鈴木宅英と称して江戸に出て刀鍛冶の道を歩み、武州八王子の刀工下原吉英の弟子を経て安永三年(1774年)山形藩主秋元但馬守永朝のお抱え刀工となった。「水心子正秀」の他「鈴木三郎藤原宅英」、「川部儀八郎藤原正秀」、晩年には「天秀」などと様々に名乗り、多くの名刀を残した。復古刀を提唱し『刀剣弁擬』『刀剣実用論』『剣工秘伝志』などを著した。名刀工、荘司直胤(山形市鍛治町出身)ら百余名の門弟を育てたまさに新々刀の祖である。烏帽子山八幡宮にはこの水心子正秀銘の脇差が伝わる。

烏帽子山八幡宮の西側は春になると烏帽子山公園の千本桜が咲き乱れる。ライトアップもなされて夜桜も美しい。
烏帽子山が公園として整備されたのは明治十九年に赤湯温泉の湯の山遊園として整備されてからである。赤湯の町が二年続けての大火に見舞われ、赤湯復興のために畑を買収し、多くの人々に呼びかけて当時のお金で三万円、人夫は四万人、そして十一年の歳月をかけてようやく公園が完成した。当初は偕楽園と呼ばれたが、後に烏帽子石に由来して烏帽子山公園になったという。
烏帽子山の東側には東正寺がある。米沢藩の赤湯御殿を受け継ぐという「御殿守」の北側に「東正寺」と「八幡神社」の入口を示す石段がある。登ってすぐに赤湯小学校発祥の地の碑がある。2003年4月に赤湯小学校は旧赤湯園芸高等学校跡地に移転した。これで四代目の校舎である。最初はこの東正寺の下に創設され、次に現在の赤湯幼稚園の場所、2003年3月までは吉野川を挟んで赤湯中学校の向いにあった。さて真っ直ぐ登ると烏帽子山八幡宮大鳥居の下に出るのだが、途中で右に曲がると東正寺がある。東正寺には赤湯出身の日銀総裁・大蔵大臣結城豊太郎の墓がある。
東正寺はかつて東昌寺とも称し、『赤湯温泉誌』では慈覚大師の草庵があった所に伊達家が押領した際、伊達家4代目の伊達政依(粟野蔵人)が跡地に精舎を建て、東昌寺と号したと伝える(正応年中か)。ほかに延元三年(1338年)道叟道愛開山説と1383年に長井氏を滅ぼし、9代伊達政宗が高畠城に入ってから元中年間に建立した説がある。伊達政宗とともに移った仙台の東昌寺に伝わる説では1283年伊達政依が建立し、陸奥安国寺となり、1383年伊達氏の置賜郡攻略とともに夏刈(高畠町)に移り、大有康甫(伊達政宗の大叔父)の時に仙台に移したとされる。しかし夏刈には以前から長井氏が開基した大寺院の資福寺があり、東昌寺に寓居していた虎哉宗乙(伊達政宗の師)が資福寺住持になったことで赤湯の東昌寺と由来が混同した可能性もある。夏刈の東昌寺というものが赤湯の東昌寺と同一かどうかははっきりしない。また『米沢地名選』によると東昌寺北山腹に「永仁二年(1294年)伊達式部少輔」の古碑があるとして、米沢に館を置く長井氏を滅ぼす以前から伊達氏は赤湯近辺には影響力を及ぼしていたとも想像される。
残念ながら烏帽子山八幡宮の本殿は2002年7月8日の火事で焼失してしまった。だが烏帽子山八幡宮は赤湯の信仰の中心地で、様々な祭りも催される場所である。赤湯に住む者として八幡宮の復興と、伝統ある祭りの継続を切に願うものである。烏帽子山公園そのものも赤湯が大火から立ち直ろうと人々が立ち上がり完成させたものである。この精神の下、新たなる赤湯の名所を創るつもりで皆が取組まなくてはならないと思う。

(参考)「置賜桜回廊」
「置賜桜回廊」は南陽市、長井市、白鷹町の桜の名所を結んだもので南陽市には烏帽子山公園の千本桜、双松公園の眺陽桜・慶海桜、漆山の黄桜、長井市には久保の桜、下伊佐沢のかすみ桜、最上川堤防の千本桜、草岡の大明神桜、白兎のしだれ桜、白鷹町には釜の越桜、薬師桜、十二の桜、子守堂の桜、八乙女種蒔き桜などがある。

 

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