達磨寺

達磨寺の山門。もとは天童舞鶴山の愛宕地蔵権現の山門だった。

(写真:達磨寺の山門。もとは天童舞鶴山の愛宕地蔵権現の山門だった。)

中山町達磨寺には地名の由来となった少林山達磨寺がある。ここの達磨には「つんぶく達磨」という伝説がある。昔、達磨様は村の桜の下に祀られていたが、子ども達はいつも達磨様で遊んでいた。ある日子ども達が達磨様を川に浮かべて遊んだまま帰ってしまい、達磨様は「つんぶく、つんぶく」と川を下って酒田まで流れ着いた。酒田の庄屋がこの達磨様を祀ったところ、夢枕に達磨様が現れて「わしは最上川上流の桜の木の下の達磨だが、村は今、はやり病で困っている。わしを村へ連れていってくれ。」というので庄屋は達磨様を背負って最上川をさかのぼり、村へたどり着いた。村では大喜びで達磨様に祈願し、たちまちはやり病は治まった。以来、この達磨様は「つんぶくだるま」と呼ばれるようになったという。

達磨寺の山門は元、天童の舞鶴山にある愛宕地蔵権現の山門だった。舞鶴山は戦国時代、天童氏の居城であったが、最上義光が天童氏を滅ぼした後、山に勝軍地蔵を祀り、愛宕神社が創建された。ところが明治の神仏分離令で寺院の一部である山門は移された。これを見て達磨寺の檀家総代は天童氏の旗印が「達磨」であったことから、この山門を譲り受けて達磨寺に寄進したのである。達磨寺にはこのほか、鎌倉時代の達磨大師木像や戦国時代の郷土武人画家、郷目貞繁による「渡海達磨図」などが収められている。