鳥海山(大物忌神社)

出羽の霊峰、鳥海山を望む鳥海山腹から見下ろした日本海

(写真左:出羽の霊峰、鳥海山を望む)(写真右:鳥海山腹から見下ろした日本海)

遊佐町吹浦の大物忌神社口ノ宮の鳥居。鳥海山は大物忌神として信仰されている。大物忌神社には南朝の武将、北畠顕信が祈願している。

(写真左:遊佐町吹浦の大物忌神社口ノ宮の鳥居。鳥海山は大物忌神として信仰されている。)

(写真右:大物忌神社には南朝の武将、北畠顕信が祈願している。)

吹浦の大物忌神社社殿。鳥海山中腹にある大物忌神社中ノ宮。

(写真左:吹浦の大物忌神社社殿。)(写真右:鳥海山中腹にある大物忌神社中ノ宮。)

鳥海山は山形・秋田県境にそびえる火山で最高峰の新山は標高二,二三七m、東北第二位の高山である。その秀麗な姿から「出羽富士」と呼ばれ、古くから信仰の対象であった。鳥海山は大物忌神とされ、山頂には大物忌神社がある。最古の噴火の記録は五七八年だが、その後も度々噴火したため朝廷が大物忌神の怒りを鎮めるために位階を贈ったという。現在最高峰の新山も一八〇一年の噴火でできたものである。最近では昭和四十九年(一九七四年)に噴火している。大物忌神社は山頂のほか山麓の遊佐町吹浦と蕨岡に口ノ宮があり、山腹の鳥海ブルーライン沿いに中ノ宮もつくられている。天慶年間頃から出羽国一ノ宮とされ在地領主から深く信仰された。鎌倉時代以降は修験道が入り込み、遊佐町蕨岡側と秋田県の矢島側にそれぞれ修験の勢力が育った。南北朝時代には奥羽を転戦していた南朝方の有力武将北畠顕信が大物忌神社に所領を寄進して南朝方の勢力回復と奥羽平定を祈願している。江戸時代に入り、元禄年間には蕨岡と矢島の修験の間に鳥海山境をめぐる争いが起こり、幕府の裁定によって鳥海山頂一帯は庄内側のものとされ、飽海郡に組み入れられた。以来、現在に至るまで鳥海山頂は山形県に属している。また鳥海山は月山と並ぶ出羽の霊峰であるため両者をあわせて「両所宮」として祀ることもしばしば見られる。