有屋峠

有屋峠入口。登っていくと水晶森と黒森の鞍部を越えて秋田県に出る。

(写真:有屋峠入口。登っていくと水晶森と黒森の鞍部を越えて秋田県に出る。)

有屋峠は金山町有屋から神室山系の水晶森と黒森の鞍部を越えて秋田県雄勝町役内に出る難所である。有屋峠は古来、軍事面で重要な役割を果たしてきた。八世紀の大野東人の東征から官道として用いられるようになり、中世までは出羽の南北を結ぶ主要道であった。横手城主小野寺義道の配下で最上地方の領主、鮭延秀綱が山形城主最上義光に降伏したため、天正十四年(1586年)小野寺義道が勢力回復を図って有屋峠から攻め込んだ。緒戦では小野寺軍が勝ったが、数日後には義光の嫡男最上義康、楯岡満茂が率いる最上軍が反撃して小野寺軍を撃退した(有屋峠の戦い)。江戸時代に入ると参勤交代のため、秋田佐竹氏らにより羽州街道が整備されて金山から北上して雄勝峠を越える道筋が中心になって有屋峠は間道となった。戊辰戦争で有屋峠は再び重要な役割を負う。奥羽越列藩同盟の仙台藩兵が要衝である金山に進出したのを受け、新政府軍が秋田から南下し、長州軍が羽州街道の森合峠から、薩摩軍が有屋峠から金山の仙台藩兵を攻めたのである。二方向から攻められた仙台藩兵は混乱して敗れた。