旧青山本邸

青山留吉翁が建てたニシン御殿「旧青山本邸」。青山本邸の入口。

(写真左:青山留吉翁が建てたニシン御殿「旧青山本邸」。)(写真右:青山本邸の入口。)

遊佐町青塚の国指定重要文化財「旧青山本邸」はこの地の出身で北海道に渡り、ニシン漁で財を成した青山留吉が郷里に建てたいわゆる「ニシン御殿」といわれる豪邸である。青山留吉は天保七年、飽海郡青塚村(現遊佐町)に生まれた。貧しい幼少期、酒田に魚を売りに行って生活し、長じて父の漁を手伝った。十八歳で由利郡塩越村(現象潟町)の須田家に養子に入るが独立心が強く創造的な性格から須田家の古い習慣に耐えられず実家に戻る。安政六年、小船で北海道に渡り後志の高島郡祝津村で雇われて漁業に従事した。一旦戻って両親に相談した後、再び祝津に行き漁場を借りて荒れた土地に小屋を建て、厳寒の地と荒れる海に苦しみながらも漁業経営を次第に安定させていく。そしてついにはニシン建網漁場を開設し、漁夫三百人余、漁船数百、漁場数十を有するに至り、隆盛を極める。そして明治二十年から三年がかりで郷里の青塚にこの豪邸「旧青山本邸」を建てたのである。明治四十一年、巨万の富を得た留吉は郷里の青塚に隠居した。なお留吉がニシン漁で成功した北海道の小樽市祝津にも「旧青山別邸」という豪邸が建てられ、こちらは「北海道開拓の村」に移築されて美術豪邸として公開されている。