換算表
両 |
分 |
朱 |
文 |
1 | 4 | 16 | 4000 |
4分の1 | 1 | 4 | 1000 |
16分の1 | 4分の1 | 1 | 250 |
4000分の1 | 1000分の1 | 250分の1 | 1 |
大判金
天正一六年(1588)豊臣秀吉によって鋳造された天正大判が最初のもので,江戸時代になってから,慶長大判・元禄大判・享保大判・天保大判・万延大判が発行された。
大判には「拾両」と書かれているが、拾両は金の容量を示すもので、小判十枚に相当するものではなく、大雑把に言えば大判一枚あたり小判七〜八両と思われる。
大判銀
幕府発行のものではなく民間の好事家が作らせた、南鐐大判銀・桐大判銀・橘姫大判銀などとよばれる大判の銀貨。
小 判
一両の通用貨幣で、慶長小判・元禄小判・宝永小判・正徳小判(享保小判とも)・元文小判・文政小判・天保小判・安政小判・万延小判などがある。
二分金
一両の半分に当たる角形の通用金貨で、文政二分金・安政二分金・万延二分金がある。
一分金
一両の四分の一に当たる角形の通用金貨で慶長一分金・元禄一分金・宝永一分金・正徳一分金(享保一分金とも)・元文一分金・文政一分金・天保一分金・安政一分金・万延一分金・などがある。
小粒。
一分銀
天保八年から発行された角形の通用銀貨で、一両の四分の一に当たり天保一分銀・安政一分銀・がある。
額銀。
二朱金
一両の八分の一、一分の半分に当たる角形の通用金貨で、元禄二朱金・天保二朱金・万延二朱金の三種がある。
二朱銀
一両の八分の一、一分の半分に当たる角形の通用銀貨で、明和南鐐二朱銀・文政南鐐二朱銀・安政二朱銀、の三種がある。
一朱金
文政一朱金の略。一両の一六分の一に当たる角形の通用金貨。
一朱銀
一両の一六分の一に当たる角形の通用銀貨で、文政一朱銀と嘉永一朱銀がある。
丁銀
量目が不均一なために、量目りょうめをはかって使われるところから秤量しょうりょう貨幣と呼ばれるなまこ型銀貨で、慶長丁銀・元禄丁銀・宝永丁銀・宝永永字丁銀・宝永三宝丁銀・宝永四宝丁銀・正徳丁銀・元文丁銀・文政丁銀・天保丁銀・安政丁銀の十一種類がある。
豆板銀
量目は不均一な豆形の小形銀貨で、丁銀を量った不足を補うための補助として使われた豆形の小形銀貨。
銭
江戸時代の初期には、元豊通宝げんぽうつうほう・永楽通宝えいらくつうほうのような、平安末期に中国で鋳造された銭貨や、これらを日本で模鋳した銭貨が使われていた。
永楽通宝は日本人にも好まれ模鋳も盛んに行なわれたが、粗悪な模造が出回り慶長十三年に通用禁止となった。
慶長年間には銅銭の慶長通宝けいちょうつうほうが鋳造された。
寛永年間から明治にかけては寛永通宝かんえいつうほうが鋳造され、銅一文銭、鉄一文銭、真鍮四文銭、鉄四文銭の銭貨が長い期間にわたって流通した。
宝永年間にはに鋳造された十文の銅銭宝永通宝ほうえいつうほうは一年未満で通用が停止されている。
天保年間に発行された天保通宝てんぽうつうほうは他の円形方口とは違い長円形の形をした銅銭で、はじめての百文貨幣であったが他の文銭との実価が低く過ぎるため価値を落としていった。
文久年間には銅の四文銭文久永宝ぶんきゅうえいほうが鋳造されるなど、様々な銭貨が発行された。
一文は一貫の千分の一、四千枚で一両と換算。