対大己五夏の闍梨に対する法


 道元禅師は、集団の秩序を守り正しい修行を進められるようにと、「典座教訓」「対大己法」
「弁道法」「知事清規」「赴粥飯法」「衆寮清規」の6つの清規(しんぎ)を制定されました。
 清規(しんぎ)というのは、清も濁も大海に入れば浄化されるように、修行僧がお互いに相手の
修行を妨げず敬い合うようにするためのよりどころであり、清浄で美しい集団であるためのものです。

 ここでは、「対大己法」についてお話します。
正式には「大己五夏闍梨に対する法」(たいこごげのじゃりにたいするほう)といいます。
大己五夏闍梨というのは、5回の夏を過ごした先輩という意味です。
 修行道場には、各地をまわって修行する雲水(雲の如く、水の流れる如く寺や高僧や教えを求めて旅する
が来るのですが、そういう道場では5年以上を過ごした先輩に対する礼儀作法があるのです。

 プロの修行僧の、しかも修行道場という特殊な世界の中での決まりであり、また750年も前に
示されたものですが、現代社会でも当然のこととしての常識として通用するものばかりです。
 現代は、当然の暗黙のルールがあって規律が守られていくものであるはずが、礼儀作法などどこ
吹く風で滅茶苦茶になっているために、禽獣同然の様相を呈していると思われる場面をよく見ます。
「大己五夏闍梨に対する法」62条から抜粋してご紹介します。なにかの参考になれば幸いです。


第 1 大己五夏の闍梨に対しては、須らく袈裟の紐を帯し、及び座具を帯すべし。
第 3 邪脚倚立して上座を視ることを得ざれ。
第 4 手を垂れて立って上座を視ることを得ざれ。
第 5 非時に喧笑して、無慚無愧なることを得ざれ。
第 7 もし教誡あらば、当に須らく礼を設けて聴受し、如法に観察し思惟すべし。
第 8 常に須らく謙卑の心を作すべし。
第 9 大己に対してかゆがりを抓き き虱を拾うことを得ざれ。
第10 大己に対して楊枝を噛み口を漱ぐことを得ざれ。
第11 大己の前に対して、洟唾することを得ざれ。
第12 大己未だ坐せよと喚ばざるに、はやく坐することを得ざれ。
第13 大己五夏と共に牀を同じうして坐し、大己五夏に唐突することを得ざれ。
第14 大己五夏の人の常に坐臥する処の牀に坐することを得ざれ。
第15 五夏以上は即ち闍梨の位、十夏以上は是れ和尚の位なり。切に須らく之を敬うべし。
    これ甘露の白法なり。
第16 五夏の尊人坐せよと喚ばば当に須らく合掌曲躬して然して後に坐すべし。慇懃端正にして
    坐せよ。
第18 もし言う所あらば、須らく謙下すべし、上分を取ることを得ざれ。
第19 大己の前に在りて、口を張って欠きょすることを得ざれ。当に手をもって之を遮るべし。
第21 大己の前に在りて、大いに喚気して声を作すことを得ざれ。如法に恭敬せよ。
第23 もし大己の大己の処に来るを見ば、当に須らく坐を避け典躬低頭して且く大己の指揮を
    待つべし。
第24 もし隔壁に大己の房あらば、高声に経典を読誦することを得ざれ。
第25 大己未だ指揮せざるに、人のために説法することを得ざれ。
第26 もし大己の所問あらば、当に須らく如法に答供すべし。
第27 常に大己の顔色を護して、失意せしめ、陀をして熱悩せしむることなかれ。
第29 大己の前に於いて、人の礼拝をうくることを得ざれ。
第30 もし大己の所に在らば、苦事は先ず水から作せ、好事は大己に譲るべし。
第31 五夏十夏の大己に逢うが如きは、当に恭敬を生ずべし、自ら退屈することなかれ。
第32 五夏十夏大己に親近しては、応に経義律義を請問すべし。軽慢懈怠を生ずることなかれ。
第34 大己の前、及び大己の房辺に在りては、無益の語、無義の語を説くことを得ざれ。
第35 大己の前にありては、佗方の尊宿の好悪長短を説くことを得ざれ。
第36 大己を軽忽して、戯論に問義することを得ざれ。
第38 大己未だ坐眠らざるに、先に眠ることを得ざれ。
第41 大己未だ坐せざるに、先に坐することを得ざれ。
第42 路に大己に逢わば如法に問訊曲躬して大己の後に随って行け。もし大己の指揮を蒙らば
    乃ち還れ。
第44 もし大己の誤錯を見ば、喧笑することを得ざれ。
第45 大己の房に到らんには、先ず門外にあって弾指三下して入れ。
第47 もし大己五夏、大己十夏等の房室に出入せば、応に賓より下がるべし、主より上がる
    ことを得ざれ。
第49 大己未だ起たざるに、先に起つことを得ざれ。
第50 大己もし壇越のために説経せば正座して聴け。急に起って去ることを得ざれ。
大51 大己の前在りて、呵罵すべき者を呵罵すべからず。
第52 大己の前にして、遙大にして人を呼ぶことを得ざれ。
第53 袈裟を解き、大己の房舎において出ずることを得ざれ。
第54 大己経説せんに、下より是非を正すことを得ざれ。
第56 大己下処にあるに、自ら高処にあって相礼すべからず。
第57 座上にして大己の為に礼を作すことを得ざれ。
第58 大己立地するに自ら座にあって大己を見て相揖することを得ざれ。
第59 大己の師たるあらば、須らくこれを知るべし。
第60 大己の弟子たるあらば、応に師の礼をを知るべし。大己を乱ることなかれ。


 先輩や年長者には、常に態度を謙虚にし言動に注意しておく必要があります。
しかし、旧軍隊等では、それをいいことに部下に絶対服従を強いたり、かなりひどい制裁を加えたり
した上官がいたという話を聞いたことがあります。 無茶苦茶な決まりを作ったりして…。
 こういう上官がいたのでは、部下は敬うどころか憎しみを抱いてしまうのではないでしょうか。
 又、現在は部下が最初から上司に対して慇懃無礼をはたらく者もいるようです。
私も色々会ってきましたが、謙虚どころか先輩に罵詈雑言を浴びせたり、知ったかぶりして物を教え
たりして悦に入っている輩もおります。
人に物を教えたがるという行為は、心理的に自分が優位に立つ快感を味わうということなのですが、
自分の心の謙虚さが無くて、優位に立つ心のみで、鬼の首を取った気でいる人間の実に多いこと!
 (さすがに学生時代の体育会や合気道部にはいませんでしたが。)

 お互いに、相手を尊重する気持ちを持ちたいものですね。