長井市歌丸(豊田地区)。 白川の南側です。 伊達氏に騙し討ちされた新田氏の武将の 供養碑です。 (おそらく、和睦しようという伊達の口車に乗って、 丸腰状態で行った新田氏を、騙し討ちにしたの かもしれません。) … これは、私の勝手な推測ですが。 |
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六 本 仏 この石塔婆は、建立の年代・由来とも不明 であるが、この地名を六本仏という。 一説に、長井の庄(置賜地方)の領主で あった米沢城主長井広房(八代の時代)、 伊達郡の領主であった伊達宗遠は、 天授六年(1380年7月)長井の庄に攻め入り 広房軍を破った。この戦いで、長井氏の武将 田沢城主(米沢市口田沢)新田遠江守は 小松に陣を張り伊達軍と対陣したが , 卑怯にも伊達方の計略にかかり一族 ことごとく伏兵に襲われ殺害された。 ← 後に伊達氏は、このことが良心にとがめ られたのか、一本木に五輪の塔を建て 新田遠江守の霊を祀る。 ここに新田氏の六従臣のために六本の 石塔婆を建て供養したと伝えられる。 現在五輪の塔は歌丸金鐘寺に 移転されている。 昭和57年3月 豊田地区文化振興会 ・豊田地区公民館 |
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新田氏の六従臣供養のための 六本の石塔婆 |
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ついでに、副住職も記念撮影です。 見たくない画像ですよね・・・。 分かっています。 わざとです。 不謹慎なことはさておき、 合掌し、お経を唱え、 心から冥福を祈ってきたことは いうまでもないことです。 |