四つの仏の智慧とは

曹洞宗の「修証儀(しゅしょうぎ)」第4章 ―発願(ほつがん)利生(りしょう)― より

 

 人々を救うための四つの智慧(般若(はんにゃ))があります。

一つ目は「布施(ふせ)」、二つ目は「愛語(あいご)」、三つ目は「利行(りぎょう)」、四つ目は「同事(どうじ)」です。

一つ目の「布施(ふせ)」とは

 別項の「布施の話」を参照してください。人々に対する「(ほどこ)し」のことです。

やさしい言葉をかける。暑いときには扇いで涼しい風を送ってやる。人を救うための事であるならば

こういうことでも布施なのです。お坊さんにお金を包むことだけを指しているのではありません。

 但し、「施し」にも様々なものがありますね。中には名声を得るためや自分の利益に還元させるため

の目的の「施し」もあるかもしれません。 ・・・こんな話があります。

 

昔の中国で、仏教の普及発展にたいそう貢献した梁の武帝が、あるとき達磨大師に質問した。

「私は、即位以来、諸地方に寺を建てたり教典を書写して一切経を各地の寺に納めたり、僧侶を養成し

供養したりして数え切れないほど仏教に寄与してきたが、どんな功徳があるでしょうか?」

それに対して、達磨大師が答えた。

「そんなことをしても功徳はない。そのような見返りを期待するような有所得の善行は、ただ人間天上

の有漏の報果を受ける原因にすぎず、これらは第一義の真の功徳ではない。」

と一喝しました。

 真の布施とは、無所得の施しである。

二つ目の「愛語(あいご)」とは

 文字通り「愛」ある言葉のことである。

ただし、愛語を語る場合に注意すべきことは、もし相手にすぐれた徳があり長所美点があるならば、それを

ほめたたえ、さらにその長所美点に向かわせ理想に励むようにしむけてやるべきである。

徳がないのに、いたずらにほめたり、徳があるのにこれを無視したりさげすんだりしてはならない。

 徳がないのにほめることは、へつらいであったり相手を利用しようという魂胆があるかであったりするし、

徳があるのにほめないのも、相手を押さえつけたり落としたりするような邪心によるものであったりもする。

 もし、相手に徳がなく美点長所がなかったとしても、これをしかったり軽蔑したりすることなく、ますます

慈悲の心をもって愛護すべきである。

自分を(うら)(にく)んでいる人(怨敵(おんてき))をも降伏(ごうぶく)し、その恨みを解消し憎しみを除き去らせ、また争っている

立派な人物(君子)を和睦させることも、全て愛語を根本とするなり。

 また、面前で愛語を聞くことは心を楽しくするし、自分の知らないところで(陰で)愛語を言われている

ことを聞けば、それは肝に銘じ魂に銘じるものになる。

 愛語は天をも廻転させる(政治をよくし世の中をもよくすること)ほどの力を持つことを学すべきである。

三つ目の「利行(りぎょう)」とは

文字通り「利益(りやく)する行為を指す。」すべての衆生に対して、これを利益し救済しようとする善行方便をめぐらす

ことが利行である。

 別項の「雀を助けた話」や「亀を助けた話」を見ていただきたいが、これとてそれによって報謝を求めたり

代償を期待したりしての有所得の行為ではなく、誠心誠意慈悲の心から生じた利行であることに意義がある。

 愚かな人は、自分の事よりも他人を利益するような事をすれば自分の利益が失われてしまうから、まず自分の

利益を図るべきであると考えるでしょう。自分や自分の家族のことが第一であって、自己中心的な行動に出る人

は珍しくありませんよね。こういう人には周囲も警戒し心を許さず、そのために温かい気持ちで心が通じ合うこと

もなく、孤立し寂しい立場に追いやられ、物心ともに非常な損失を招くことにつながるでしょう。

四つ目の「同事(どうじ)」とは

「同事」、つまり「自他の区別を立てないこと」です。自分に対しても他人にたいしてもこれを同等に見て、

そこに区別をつけないことです。…自分はいいけど他人がすると許せない、とか、常に自分中心だったりとか。

 では、まったくそりあわないときにはどうなのでしょうか。自他一如ならしめる、その具体的な行動として

「他をして自に同ぜしめて後に、自をして他に同ぜしむる道理あるべし。」とあります。

まず、他の言い分をよく聞き理解して吸収し、心開いた相手にさせてから、自分を開いて入れていく…。

 最後に、「海の水は他の色々な川を辞してはいない。そして、よく水が集まって海となっている。

最終的にはどのような川の水も海に含まれ海水となっている。これすなわち同事なり。」

 

 (―曹洞宗宗務庁発行;「修証儀講話」参照―)

この話は、曹洞宗の「修証儀」しゅしょうぎ)第4章からの話です。

 

「修証儀」(しゅしょうぎ)とは;曹洞宗の開祖道元禅師の著した「正法眼蔵」の中の文句を主として集め、

明治時代にまとめられた聖典。現代語に訳されており、そう難解ではない。 曹洞宗の信仰実践の書でもあり、

人間としての生きる道が説いてある。宗派や国境を越えて人間として学ぶ事に、合い通じるものがあると思う。