すずめを助けた話

 

 中国の後漢時代(0~200年頃)の話。 生まれつき慈悲深い性質の楊宝(ようほう)という人がいた。

彼が9歳の頃、華陰山の北方で、一羽の黄色の雀が鳶に襲われ、傷ついて林の中に落ちアリにたかられ
苦しんでもがいていた。

この哀れな雀を見た楊宝は、そっと拾い上げアリを払いのけて、ふところに入れて家に持ち帰り、
箱の中に入れて菜の花などを与えていると次第に元気になっていった。

 百日あまりたつと、抜けていた羽毛も生えそろい、飛ぶことができるようになった。

そこで、朝方に箱から出してやると夕方には戻ってくるという風で、楊宝の家の一員のように大変よくなついた。

 このようにして、数年間飼われていたが、あるとき突然多くの雀がやってきて、悲しい泣き声をあげながら
彼の家の周りを飛び交い、数日にして飛び去っていった。それは、飼っていた雀が死んだためであった。

 

 その晩になって、黄色の童子がやってきて、楊宝に向かって伏し拝み、

「私は西王母(仙女)の使者でありますが、蓬莱に生まれてここを通りかかりました。

 私はあなたに助けられ、そしていろいろと親切にしていただいき恩愛養育を受けた雀が生まれ代った者です。
これはほんのお礼のしるしでありますが、お受け取りください。」

といって、白玉製の環を4個ほど差し出し、「あなたのご子孫は清廉潔白で、この白玉のようであります。
そして、4代にわたって三公(日本の太政大臣・左大臣・右大臣にあたる)の位にのぼられるでありましょう。」
と言って立ち去った。

 

 果たして、楊宝の子の楊震、孫の楊秉、曾孫の楊賜、玄孫の楊彪の4代にわたって三公の位にのぼり、
その徳望も高かった、ということである。

                     (―曹洞宗宗務庁発行;「修証儀講話」より―)

 

この話は、曹洞宗の「修証儀」しゅしょうぎ)第4章・第5章に出てきます。

「修証儀」(しゅしょうぎ)とは;曹洞宗の開祖道元禅師の著した「正法眼蔵」の中の文句を主として集め、

明治時代にまとめられた聖典。現代語に訳されており、そう難解ではない。 曹洞宗の信仰実践の書でもあり、

人間としての生きる道が説いてある。宗派や国境を越えて人間として合い通じるものがあると思う。


 

 日本でおなじみの「舌きり雀」の話は、古くは13世紀の宇治拾遺物語にも見える。

「舌きり雀」では、親切で欲の無いおじいさんは雀によって恩返しをされる。
ところが、それを見て「ああすると宝物がもらえるんだな。」と善行のまねをした欲深なおばあさんのもらった
箱の中からは、虫やらお化けやらがたくさん出てきた…という話である。

 

どちらの話においても共通することは、「心から善行を行った。」ということと、
「それは、見返りを期待して行ったことではない。」ということである。

本当に雀が恩返しをしてくれるかどうかは別として、善行のまねをしたり恩返しを期待したりしてする行いは、
既に「舌きり雀のおばあさん」なのである。

大事なのは、誠心誠意、心から哀れに思い親切にしてあげることなのである。