縁 起 と 迷 信 について
私達のいる現在は、過去の上に成り立っています。
私達は、父母がいるから現存する訳で、その父母も祖父母から生まれてきた訳です。
さらには、私達の子どもができ孫ができて、未来の世につながっていきます。
こうして、過去・現在・未来という「縦」の関係に今の自分が成り立っております。
今の世では、私達はたくさんの人と一緒に生きております。現在での「横」の人間関係です。
そして、その隣の人にも(今生きている人達にも)、前述した「縦」の関係があるわけです。
つまり、私という一人の人間は、縦の関係と横の関係の中の、ちょうど網の目の中にポツンと
置かれているような状態にあるわけです。
ですから、私達が良い縁を起こすと、それが池に石を投げ入れたときに起きる波紋のように
横にも縦にも良い縁が広がっていきます。悪い縁を起こしても同じです。
ある原因があって、その結果が出る。これを「因果」関係といいます。
良い原因や悪い原因によって縁ができること、できる縁を「因縁」といいます。
良い原因をつくれば良い縁ができ、悪い縁を起こせば悪い結果となって現れます。
そういう縁が起きること、できることを「縁起」といいます。
ですから、縁起とは担ぐばかりでは駄目なのです。自分で良い縁を起こしていかなければ…。
北枕の迷信について ー北枕で寝るって縁起が悪いし、何かに呪われるのですか?ー
お釈迦様が涅槃に入られたとき(亡くなったとき)、頭を北に向け、体の右側を下にした姿で
涅槃に入られました。
もしかしたら、地球の南北に流れる磁力の関係で、一番楽な姿勢なのかもしれません。
右を下にして横になった方が、胃の形の関係で消化に良いと聞いたことがありますが…。
という訳で、亡くなった方を、お釈迦様にならって頭を北にして寝かせるようになったのが、
「北枕に寝かせる」ことのはじまりだと思います。
死んだ人はお釈迦様と同じ北枕 → 北枕は死んだ人 → 北枕にすると縁起が悪い。
となってきたのだと、私は思います。
ですから、本来は「北枕」はそんなに縁起が悪いことではないように思います。
事実、大本山永平寺などでは、僧堂(雲水が寝起きしたり座禅や食事をしたりする建物)の
構造上、北枕になる単(畳一畳の雲水の場所。ここは寝る場所でもあり座禅や食事をする場所
でもある。)も出てきますが、修行僧は全く気にせずに眠っています。
本山では北枕にはとらわれず、本尊様に足を向けないようにするのが基本ですから、北枕で
寝ている人は結構おります。
かくいう私も、部屋の構造上、今でも北枕で寝ております。
でも、北枕にとらわれて、あまりいい気分がしないという人を無理やり北枕で寝かせたために
恐怖で夜中にうなされたり、悪夢を見たりしてはいけませんので、泊まりに来た人には強制は
しないようにしています。
迷信の中には、このように時代とともに誤解されてきたことや、生活の知恵の中でこの方が良い
というようになったものがあると思いますので、気にしなくてもよいものは気にせず、気にした方が
いい場合には気を使ってというふうに適宜使い分け、精神衛生上好ましい人間生活を送って
いただきたいものと思います。
私も結婚式の日取りは、仕事の関係で「大安」の日にできませんでしたが、でもこうして円満に
やっております。要は、生きている人間の精神力や生き方・姿勢が一番大事であると思って
おります。
大安の日にしっかり結婚したくせに離婚したのでは、何をか云わんですよね。 喝!
追加 ; 迷信が全て間違いだと言っているのではありません。それに惑わされたり左右されたり
する前に、まず、自分自身がしっかりとした生き方をするかどうかを問うているのです。
私は、高校時代から趣味で姓名判断をしております。よく知人の友人等(私の知らない
人)の名前を聞いて姓名判断をしたりするのですが、7〜8割当たっていると言われます。
さて、ここであなたが姓名判断の結果、「交通事故に遭いやすい名前だ。」と言われたら
どうしますか? 悲観しますか? がっかりしますか? そんな名前を付けた親を恨んだり
しますか? そういうときにはこう考えてください。
「交通事故に遭いやすい名前」と言われた。 → 「交通事故には気をつけよう。」
つまり交通事故には気をつけて過ごせばよいのです。
これだけで、交通事故から遠ざかります。
それに気付かず構わずにいるから「交通事故に遭いやすい」タイプのままでいるのです。
自分の弱点を指摘されたら、それに気をつけて過ごせばよいのです。
弱点に気付かないで過ごすよりは、嫌な事を言われても、それを逆手にとって、プラスに
転換し (これが実に難しい。 あなたはできますか?)、 その災難から逃れればよいのです。
100%完全で良い名前の持ち主なんて数少ないですよ。そしていくら良い名前が付いて
いても、その上にあぐらをかき非難される様な生き方をしていれば運は逃げていきます。
交通安全のご祈祷をしてお守りをもらったからといって、赤信号無視で突っ込んでは命の
保障はありません。お守りが守ってくれると、無理無茶や無謀運転を考えなしでやるよう
な、そんな過信と自信過剰で生きている人間をお守りは守ってくれません。
慎重で謙虚で正しい生き方をする心を、更にそれをご加護するのがお守りです。
お守りをスーパーマンと間違えてはいけません。 お守りがまもってくれるから、自分は
何をしてもかまわないなんて…、 それこそ自分のない「他人まかせ」の姿勢です。
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