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釣行記 |
N0.57-2
2002年群遊会総会だよ、全員集合〜!の巻
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黒澤 吉直 |
時は12月21日、街はクリスマスム−ドー色のこの日、今年を締めくくる総会開催と相成った。 なんと場所は我妻会長の自宅、PM4時から無制限(夢精減ではない)一本勝負との事。なにせ、慢性アルコール中毒の面々・・・・私は果たして生きて帰れるのだろうか?あぁ、とってもハム太郎。(※注 恐ろしいと言いたいのです)そんな事を考えつつ、ROUTE121を我妻邸へ向けて車は爆走中であった。 ほどなく到着、時刻は丁度4時だ。「こんにちは〜☆ 」よそいきの声で、まずは御挨拶っと。玄関を上がると、そうそうたる顔ぶれが並んでいた。我妻さん、武田さん、幸助さん、須藤さん、青木さんと、群遊会の主力メンバーだ。 皆さんと挨拶を済ませ、しばし談笑していると今度は、なんと四国から松島名誉会長がご帰還された。なんと電車で昨日の夜に発ってきたとの事、ご苦労様でした。そうこうしている内に、毎日多忙を極める我妻会長より「そろそろ始めっか」とGOサインが出た。まずは我妻さんが乾杯の音頭をとり、まずはビール片手に皆で乾杯の大合唱となり、厳かにそして和やかにスタートしたのだった。 須藤さんの手による総会特集号の会報を基に、我妻さんが2002年度の活動を総括し、全体的に見ても殆どが不本意なシーズンだったのでは・・・と言う結論に達した。私の様なあてにならない幽霊会員の存在が、足を引っ張っているのかと思うと申し訳なくて身が縮む思いだ。活動内容もしかり、水トレと清掃山行のみ2回と言う有様だったのだ。 もっともっと参加したいのだが・・・・・・・いや多くは語るまい、ボロが出ると困るから。小心者の私は黙ってビールをすすり、誤魔化しに成功(性交ではない)した。 次に収支決算の報告に話題は移った様だが、なにせ数字には昔から弱い私の事、相ずちをうんうんと打って分かった振りをした。 そして話題は、共同装備の消耗品へと展開していった。「ザイルにテープ、そろそろだべ」と我妻さんが皆に問うと、「んだんだ」と声を揃えて返事が返ってきた。「シュリンゲも随分作った筈なのに、もう数える位しかねえんだよ」、「何mm欲しいべ?」、「何mmだったっけ?」、「トレーニング用は太いほうがいいよ」、「テープ長めに買って、シュリンゲも作んねっかなんねべ」、と活発な意見が多数出るわ出るわ。来シーズンへ向けての準備は万全の様だ。とその時、口を開いたのは誰あろう武田さんであった。 「GPS欲しなあ〜・・・・・・・・」 突然の爆弾発言に一同唖然としたのは言うまでもない。しかし懸命にGPSの素晴らしさを訴える武田さんの姿に心うたれ、そして諦め、そして「いいんでないの」と言わざるを得なかった皆に、更に追い討ちをかける発言が飛び出したのだ。 『9月の半ばから10月の半ば迄は、俺が個人的に借りるから!』勿論、声の主は武田さんである。察しのいい皆はピンときたようだ。これを職権乱用と言わずして何と言おうか。 まさに何処かの住宅供給公社に於ける巨額横領事件のヒロイン?アニータさん状態だぁ。 でも、皆大人だから黙っていた。きっと来年の秋には、皆の夕食のテーブルには食べきれない程の舞茸の天ぷらが上がっている事を信じてやまない。おすそ分け待ってます。 「ねっ!た・け・だ・さ・ん♪」 その他には当会のH・P管理人、須藤さんよりグッと控えめな要望もあったりと、来シーズンに向けて非常に有意義な話し合いとなった模様だ。(記憶がイマイチ・・・・・)来年の活動方針案もとりたてて大きく変わった所も無かったが、何と言っても一番の関心事と言えば、朝日山地森林生態系保護地域設定問題だった。私達が命の洗濯が出来る大事な大事なフィールドを、個々が守らなければと言う意識が大変に感じられた。 私は会の中では新参者だし、環境保護活動についても殆んど何もしていないのと一緒だ。 知識も技術もなくて、その術が知りたくて群遊会の門を叩いたのだ。(無理やりこじ開けたという噂もある?)だからこそ、この機会に先輩達の話しに耳を傾け、理解し、行動に結び付ける事が出来たらなぁと思う年頃(やり頃ではない)なのである。 まぁ自分の事はどうでもいいとして、群遊会としては、この問題に関しては慌てず騒がず他会との連携を睨みながら、機を見て敏に行動するという方向で我妻会長に一任した格好で決着を見た。そうこうしている内に、いつの間にか大滝さんと春川さんが、ご乱入あそばれた。 皆で杯を重ねる毎に、飲むほどに酔うほどに饒舌になり、次々と一升瓶がなぎ倒されていったかは、記憶が定かではないので分からない。そんな中、誰かが「うめっつあん来てねえぞ」との声。本当だ、群遊会の重鎮またの名を群遊会の黄門様こと梅津顧問がお見えになってない。早速に幸助さんが携帯を取り出し、即呼び出しの体勢にはいった。しばし呼び出しの後、コンタクトは取れたようだ。なんでも現在地は成島辺りとの事だが米沢人でない私にはさっぱり要領を得ない。 ふと時計を見やると、PM8時近い。するとここで我妻さんが退場とのこと、なにやらこの時間から挨拶廻りに行って来るそうだ。「市議になるのも楽じゃないな」とつくづく思いながら手を振って見送った。ほどなくして、入れ替わる様に梅津顧問が御到着の運びとなった。 今日の顧問はまるでサンタクロースのように見える。何故かといえば、素敵な素敵な笑顔で抱えきれないほどのプレゼント(酒とつまみ)を恵まれない子供たち(皆)に運んで来てくれたからだ。勿論恵まれない子供たちは大歓声でサンタクロースを迎えたのだった。顧問を迎えて改めて乾杯の儀を執り行いつつも、各人まったりとした時間を楽しんでいると突然、幸助さんの独演会が始まった。今回は残念ながら内容が過激で記す事は出来ないが、そうとうストレスも溜まって御疲れの様だ。話をしながらも、「眠い・眠い」を連発する。しばし幸助さんが口を休めると、今度は梅津顧問が大変有意義な講義をおっ始めて下さった。その内容はとても興味深いもので、例えば魚(なんだっけ・・・)の寄生虫で死にぱぐったとか、会の山行?に参加して途中でビバークしたら獣が一杯寄ってきたとか、そこで奇声を発しながら暗闇をきのこ取りしつつ、ヘッドライト一つでテン場を目指す渓の御大こと吉川さんに行き会ったとか、熊狩りの話とか、熊の掌はチョー旨いとか、とてもとても面白い話をしてくださった。すると今度は幸助さんが、顧問の昼の顔の実態を丁寧に優しく分かりやすく御教授してくれた。う〜ん、こんな大物が会の幹部になっているとは・・・・・・恐るべし!群遊会。 酒も進み話も進み、幸助さんの寝る体勢も整って来た様だ。顔は出しているがすでにミノ虫状態だ。ほどなく寝息を立てたなと思いきや、いびきを掻きながら予想だにしない行動に出たのだ。なんと幸助さんは、寝袋にくるまった状態で3畳程の空きスペースを縦横無尽にゴロゴロと転がり始めたのだ。と思ったのも束の間、間髪入れずに今度は、な・なんと私と青木さんがくつろいでいたテーブルの足めがけて会心のボレーシュートをお見舞いしたのだった。『ゴォォ〜ル』と叫ぼうとした瞬間、寝ても尚パワフルな幸助さん、テーブルをリフティングし始めたのだ。そうはさせじとテーブルを押えようとした所、幸助さんは更にフェイントを掛けてきた。それは私と青木さんの前に、つまみと寄り添う様に幸助さんの寝袋に包まれたおみ足が仲良く並んだのだ。信じられない出来事に周りを見渡すと、何事も無かったように武田さんと松島さんが満面の笑顔で酒を酌み交わしていた。こんな事は何でも無いとでも言うのか?いくらシニアと言えど、現役サッカー選手の幸助さん!素人相手にイジメは無しですよ。改めて群遊のボッカのパワーを思い知らされると共に、頭を豆腐で殴られた様な衝撃が走った。う〜む、奥が深いぞ!群遊会。 丁度その時、自分のセカンドバッグをまさぐる梅津顧問の姿があった・・・・と思う。すると顧問は、お釈迦様を想わせる様な優しい眼差しで、なにやら私に向かって差し出し、こう話された。「おめぇにやるわ☆」・・・・・・なんとそれは眼鏡バンドだった。今年、水トレに参加した時に我妻会長から「渓で泳ぐ時は眼鏡バンド有ったほうがいいぞ、無くすから!」との忠告を受けていて、買わなければとは思っていたのだが、よもや顧問から直々に頂く事になるとは思いもよらなかった。まさに群遊会のサンタクロースだ!!するとすかさず外野(武田さん)から嘆き節が聞こえてきた。「俺なんか今迄に、ただの一つも顧問からモノ貰ったことなんかないのにぃぃぃぃぃぃぃ」 〜確かに聞こえた。 が、大先輩を気遣う品行方正(チ○コほ○けいではない)な好(色)青年の私は、一切聞こえない振りをして、すぐさまプレゼントをポケットの奥深く仕舞い込んだ。『梅津顧問、有難う御座いました!大事に使わせていただきます』丁重にお礼を申し上げた。 次々と一升瓶が横倒しになっていく中(なってない、なってない)松島さんが帰られると言う。どうやら愛するハニー(キューティハニー?)がお迎えに参上された様子だ。 一緒に梅津顧問までもが自宅へ御帰還の旨を告げられたので、意識のある人・正気な人・足腰の立つ人など全員で手を振って号泣しながらお二人を見送ったのだった。 「寂しくなっちゃったナァ〜」などと呟いて、ちびちびと酒を飲んでいると、な・なんと我妻さんが全速全開で本日の予定をこなして、終了→直ちに帰宅の運びとなり再度の登場となった。人数が減って寂しくなってしまったので、ひとまず中締めがてら片付けをして一部撤収し、テーブルを一つにして再度仕切り直しだ。まるで群遊会の総会はサバイバルレースの様相を呈してきた。残ったのは6人、我妻さんと武田さんと須藤さんと青木さんと大滝さんそして私め黒沢と、いずれ劣らぬアルコール中毒の脳軟化症の記憶喪失親父の揃い踏みとなった。ヤバイ!本当に生きて帰れないかも・・・・・・・・そんな心配をよそに口火を切ったのは、またしてもイケイケ事務局長の武田さんだった。『わざわざ福島から来ているんだから、な〜んかねぇのぉ?トクさぁん!』と私にかこつけて、のたまう。 我妻さんも最初は「なぁんもねぇっつうの!」と応戦していたが、とうとう痺れをきらしたというか根負けしたというか、とにかく我妻釣具店の在庫一掃セールは始まった。 まずは某C社のフライロッドだ。「誰か欲しい人?」我妻さんが問いかけるも、自分から名乗り出る人はいないようだ。誰もフライはやらないと見た。無理もない、皆程度の差はあれ、所詮渓に入れば食い意地の張った山乞食の様なもの、フライの装備を担ぐなら焼酎4リッター担ぐ方を選ぶ輩である。そんな面々の誰かがポロリと言った。「青木君、フライやりたいんじゃなかったっけ?」決定である。しかも無競争で・・・・・・『おめでとう、青木さん。来年からはフライフィッシャーの仲間入りだね、しかもこれをネタに又原稿依頼が、わんさか来る事でしょう』ご愁傷様♪ さぁて、お次はなんと某D社の本流竿だぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・ 「欲しい人は?」の声を聞くより早く我妻さんを除く5人が手を上げていた。「勝負だな」このセリフを聞いて皆お互いに顔を見合わせてしまった。一番やりたくない様な素振りを見せながら、実は目が血走ってやる気満々の武田さんが、意表を突いたフェイントで仕掛けてきた。それを4人は受けて立った。 『最初はグー!ジャンケンポーン!』 しばし、数回の勝負の後見事に本流竿をゲットしたのは、当会で○モと噂が有る様な、無い様な色男須藤さんだった。その竿で本当は何を釣り上げるつもりなのか?知りたい様な、知るのが恐い様な・・・アブノーマルな釣行にならない事を、ひたすら祈るばかりだ。 なんとここまで私は0勝2敗と散々な結果に甘んじている。と言うのはもう折り込み済みなのだ。なぜなら私は自慢だが、勝負事は勿論ジャンケンさえもまず勝てないと言う特異体質で、今回の結果は当然と言えば当然だ。でもでも我妻テスター愛用の竿、なんでもいいから使ってみたいものだ。引き続き出てきたのはテンカラのライン2本だ。でもこれは勝負どころか、最初から出来レースだった模様。2本ともしっかりと武田さんの手に握られていて、内気で人見知りの私は何がどうなったのか、知る由もない。 なんと次に登場したのはS社の山女魚用の渓流竿だ。聞けば定価は普通の竿よりも桁がひとつ上なんだそうだ。何と言う太っ腹!さすが人格者だ・・・・・・・・・・・と思っているうちに勝負は一瞬で決まっていた。全敗に終わってしまった。さあ今回の勝負のウィナーは誰だ・・・と思いきや、またもや青木さんだ〜。満面の笑みを浮かべて竿を受け取る青木さんを、羨ましそうにアホ面下げて眺めていたのは誰だ?(私?)でもこんな私も一回だけジャンケン勝負に勝つことが出来た。珍しい事で、とっても嬉しい。戦利品はと言うと[仕掛け巻きセット]だった。大滝さんも似たような物を手に入れたようだ。在庫一掃セールで悲喜こもごもと言うのも大袈裟だが、これ程までに明暗が分かれるものだろうか?運とは時に気まぐれで不思議なものだという事を実感した日だった。 須藤さんは、本流竿の他に我妻家自家製の数年物の特製梅酒を強奪しようと試みたようだが、我妻さんに発見されて未遂に終わった模様だった。 こうして総会もフィナーレを迎えようとしていたが、辺りを見るといつの間にか一人二人と寝袋に包まれて静かな寝息を立てていた。そしてとうとう武田さんと私だけになってしまい、武田さんが「寝ようか?」とおっしゃるので、命拾いした事に内心ほくそえみ「そうですね」とこれまた寝袋に潜り込んだ。程よく回った酒が、瞬く間に意識を薄れさせて、程なく私は眠りに落ちたのだった。 2002年皆はどんなシーズンを送ったのだろう? 2003年はどんな素晴らしい魚達と出会えるだろうか? 今年充実のシーズンを送った人も、不本意なシーズンを悔やんでいる人も、来年はきっと良い年であります様にお祈り申し上げます。勿論私も含めて・・・ 群遊会の益々の発展と、安全釣行が来年も実現出来ます様に・・・(くろさわ よしなお) |
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