鼠ヶ関 |
(写真左:近世の念珠関(鼠ヶ関)址。国道沿いにある。) (写真右:古代鼠ヶ関址。鼠ヶ関駅の南側にあったという。この碑は線路沿いに立つ。) (写真:山形・新潟県境。この奥は羽越本線。奥の道路の曲がり角に古代鼠ヶ関址の碑がある。) (写真左:弁天島の源義経ゆかりの地の碑。)(写真右:厳島神社を祀る弁天島。) |
山形県温海町と新潟県山北町の境に鼠ヶ関という場所がある。鼠ヶ関は念珠関とも記され、古代には陸奥国の勿来関(菊多関)、白河関とともに奥羽の三関の一つであった。十一世紀には歌枕に「ねずみの関」として登場し、また『吾妻鏡』には文治五年(1189年)に源頼朝の奥州征伐軍が越後から出羽「念種関(ねずがせき)」を通って合戦に及んだことが記されている。さらに『義経記』では源義経が奥州に逃れる際「勧進帳」の様な形で鼠ヶ関を通過する場面を描いている。源義経が上陸したのもこの鼠ヶ関だったという。この古代の鼠ヶ関は鼠ヶ関駅の南、現在の山形県・新潟県県境付近にあったという。一方国道沿いにある「念珠関址」は近世の関所址で江戸時代には「鼠ヶ関御番所」と呼ばれていた。最上氏の時代には地元鼠ヶ関の楯主佐藤掃部が関守として国境を警護し、酒井氏の時代には藩士も上番として国境警護にあたった。現在は内務省による石柱案内が残る。 |